8時間睡眠/日

今日も推しが銀河一うつくしい

光り、あまねく輝かしいものたち

※一ファンによる実在する人物を基にした創作(Fan Fiction)です
※モチーフとなる人物の思想・信条等を保証するものではなく、人権の侵害や侮辱を目的とするものではありません

 

 ラップトップで課題のレポートをこなす時間は孤独だ。大学の推薦スペックを満たしたラップトップは随分値が張って、大切に使いなさいと親に念を押された。
 ほんの二千字のレポートは、それでももう二時間はかかっている。テキストエディタの隣にYouTubeのウィンドウを並べ、自動で再生されるミュージック・ビデオを眺めながら唸る。二千字なんてTwitterで消費したりLINEでやりとりしていればあっという間だというのに。
 立派な志を持って大学に入学したわけではなかった。いまどき大学くらい出ておかないと職にも困るし、幸いなことに親には学費や生活費を出してもらえた。関西の難関と言われる私大に合格したのは、正直かなり運がよかった。
 とはいえ単位のためにろくに興味のない講義を受け、レポートに苦しんでいるので、めぐりめぐって自業自得という気もする。好きなアーティストのミュージック・ビデオは何度も見てしまっていたから、普段なら手を伸ばさないアイドルの動画を流しはじめてそこそこ経っていた。
 だれかの作ったプレイリストに迷い込んだのか、名前も知らないアイドルの動画ばかりが再生されるようになっていた。再生回数も多くなく、ご当地アイドルとか、地下アイドルとか、そういうグループなんだろうな、と思った。
「頑張ってるなー……」
 ただ撮影しただけのようなあまり画質のよくない動画もあったが、素人目には動画の出来のいいものが多かった。アイドルには詳しくないが、テレビに出ていてもおかしくないような子だって何人も。だというのにそのグループ名は一度だって電波のうえで見たことがないから、厳しい世界だというのが察せられた。
 年頃は、たぶんそう変わらない。だのに画面の向こうの彼女たちは一様にきらきらと輝いていて、レポートのためにだらだらと時間を浪費する自分とは何もかもが違っている。
 ちょっとみじめになりはじめたタイミングで、次の動画が再生された。一対の脚が階段を降りる映像のあと、鳴りはじめた音楽に、テキストエディタに向けていた視線を動画にやる。最初の一小節だけで、あ、好きだな、と思ったからだ。
 立ち姿のうつくしい女がいた。
 ステージは薄暗くて小さい。普段行くようなライブハウスよりも手狭に見えるそこに、黒い衣装を身につけた五人の女が並んでいた。ひときわ目を惹いたのは――これはもちろんあとから調べたのだが――猫戸彩凪という、宝石みたいに透きとおってうつくしいひとだった。

 

 スニーカーがステージを踏みつける音がする。それまで数多のひとびとに踏みつけられてきたステージが不満げな音を立てながら、五対の脚を迎え入れた。フロアは俄かに静まって、水面下に押し込められた興奮が解放される瞬間を待ちわびている。
 顔の前にかざされた腕の白さにはっとして、鼓膜を叩く電子音の洪水にいっしゅんだけ脳が揺れる。写楽が芯のある声で「行くぞ!」と吼えたのを皮切りにして、たちまち熱気が膨らんだ。
 フロアを煽るような前奏のダンスには勢いがあり、猫戸の伸ばす腕の長さにはっとした。レース生地に包まれた左腕と、マントの下の半袖からさらされた肌のコントラストが鮮明だ。翳をたたえた美しい顔立ちは目を逸らせないほど強く、まっすぐに前を見ている。印象的なアーモンド・アイで眼下に広がるフロアを睨み据えながら彼女が踊るたび、それに合わせて揺れる髪が照明に透けて、ほとんど発光しているようだった。
 なにか、ことばにならないものをつかまえて握りしめるような動きに物語を見た。なめらかではない足取りで前方へ踏み出して手を伸ばす、その動きに心がざわめく。彼女の持つ雰囲気や立ち居振る舞いからは、そういう、どこかさみしい物語のにおいがする。
 あのミュージック・ビデオを見てからすぐさまグループを調べ、心を掴んだ彼女のことを調べた。パフォーマンスにも滲むさみしげなかんじやアンニュイな雰囲気、美しく整った容姿はもちろん魅力だったが、何よりその目の持つ力強さに心を射抜かれた。そんなのは初めてのことだった。
 だから何もわからないまでも、彼女が出演するという、直近で予定の合うライブのチケットを取った。そうして何も考えないままに今日、ちいさなライブハウスにまで来たのだ。最近はアルバイトのシフトを希望通り入れてはもらえず、今日だってそのせいで予定が空いていたのだから、むしろラッキーだったかもしれない。
 無意識のうちに握りしめた拳を振り上げることも忘れたまま、彼女たちは――sui suiというグループ名を与えられた華やかな女たちは、息つく暇もなく三曲を歌い継いだ。ミュージック・ビデオはまだ二曲しかなく、すべての曲を配信しているわけでもないようだったから、中には知らない曲もあった。けれどそんなのは関係なかった。
 ともすれば鼓膜がバカになりそうな音量で鳴らされるライブハウスのステージは当然狭く、五人が並ぶだけでせいいっぱいの幅しかない。そんなところで歌って踊るのだから、どうしたって窮屈だ。彼女が手を伸ばすたび、拳を突き上げるたび、胸に炎が灯ってゆくようだった。心臓が暴れ出しそうなほど震えているのがわかる。心が動くという言葉の意味を、正しく知った。
 告知を兼ねた短いトークは、どのグループでもやっているようだった。あれだけ鋭く美しいパフォーマンスを見せていた彼女は、一転喋ると随分とかわいらしいひとなのだった。口調はふわふわとやわらかく、トークは何とも頼りない。それも彼女の持ち味のようで、フロアにいるファンたちはさざなみのような笑い声を上げて見守っていた。
 Twitterをできる限り遡ったから、むしろ穏やかでふわふわとやわらかい面があることはわかっていたし、どちらかというとそのほうが素に近いのだろう。けれども初めて見た彼女が、あんまり危ういほどに鋭く美しかったから、どうにもうまくリンクしないのだった。
 詳しくはTwitterを見てください、と笑いながら言って、短いトークが終わる。照れながら笑っていた彼女が、狭いステージの中央に歩み出るだけで空気が変わった。それと前後してライトが落ち、ほかのメンバーが彼女の一部分に触れてまわりを取り巻く。
 音がふるえた。ちいさな、聞き逃してしまいそうなブレスが耳に滑り込む。空気が揺れて、声がわずかに涙の気配を帯びる。熱を持つ。
 理屈なんてわからない。絶対的な技術があるわけでもない。だけど彼女の歌は、どうしたって心を揺さぶった。眼球が熱く濡れるのを抑えられない。
 握りしめたままの拳を持ち上げて、彼女の真似をした。指をさす動きだ。彼女はフロアにいるファンたちが同じように真似をしているのを見て笑っている。人を射殺せそうな瞳は、緩むととたんにやわらかく穏やかだ。
 胸の奥底から湧き上がる気持ちがフロアの熱気に炙られて、身体の輪郭ぎりぎりにまで膨張しているのを感じる。あとほんの少しで爆発してしまいそうで、指先が震えるのをどうすることもできなかった。吸い寄せられるように、目が勝手に彼女のことを追いかける。照明に透ける髪がきらきらと光ってきれいだ。
 目が合った。
 完璧なアーモンド・アイが、何かを確かめるように一瞬こちらを注視して、それから笑みの形に綻んだ。ステージの上から見下ろして微笑む姿は、彼女自身が発光しているかのように輝いている。喉が詰まった。邂逅した視線に、どっと心臓が騒ぎ出す。胸のうちに火が灯る。
 ほんの一瞬、目が合ったのは時間にしてみれば一秒にも満たないだろう。だけどそれだけで、すっかり心を掴まれてしまった。どきどきと逸る心臓は、皮膚でしっかり押さえつけていないと体外に飛び出していってしまいそうだ。
 上等ではないステージを踏みつける脚の躍動に、繊細に伸びる指先の叙情性に、宙に散らばる髪の優美さに、伏し目がちになる視線の翳りに、胸のうちがわで燃えはじめた炎が大きくなる。発熱でもしているみたいに指の先まで熱い。
 心の奥に、澱のように沈んでいたいろんなことをやさしく撫でられた気がした。アルバイト先の人間関係や顔を合わせなくなった両親のこと、興味の持てない講義も大学の友人からのどうでもいい連絡も、特別に好きでもない恋人のことも、心の奥にはちいさな不満がいくつも降り積もっていて暗く澱んでいる。歌を聴いたところでそれらの問題が解決するわけがないことはよくわかっていて、それでも、救われたような気持ちになったのだ。
 ステージの上で照明を浴びる彼女は美しく輝いていて、出番を終えて捌けていく姿にさえ高揚が冷めない。音を立てて赫々と燃える胸のうちの炎は、照明が落ちて演者の消えたステージをほの赤く照らしていた。

 

!以下のグループ・人物を基にしたファンフィクションです!

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